大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和56年(オ)310号 判決

上告人

及川巖

上告人

及川ミツ

右両名訴訟代理人

花岡敬明

被上告人

重田甚太郎

被上告人

喜多見かず子

被上告人

重田政男

被上告人

重田清三

右四名訴訟代理人

須賀利雄

上野雅威

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人花岡敬明の上告理由について

一本件について原審が認定した事実関係は、およそ次のとおりである。

1  重田縫太郎(明治二七年三月一〇日生)は、大正八年二月一二日及川はな(明治三三年七月二四日生)と婚姻したが、はなとの間には実子はなく、大畑喜代との間に出生した被上告人重田甚太郎がただ一人の実子であつたが、同被上告人とは同居していなかつた。

2  縫太郎夫婦は、昭和七年九月二八日縫太郎の実弟重田修作と養子縁組したが、同人の妻とはなとの折合いが悪く十数年後に別居し、また、昭和三五年六月二五日修作の子の被上告人重田政男と養子縁組したが、やはり同人の妻とはなとの折合いが悪く数年後に別居した。その後縫太郎夫婦は、昭和四八年三月ころ実子である被上告人甚太郎と同居したが、同人の妻とはなとの折合いが悪く同年一〇月ころ別居した。

3  ところで、その後はなが脳溢血で入院するということもあつたので、縫太郎夫婦は、終生老後の世話を託すべく、今度は妻はなの実家筋の及川家から上告人らを養子として迎えることを希望した。これに対し、上告人らは当初難色を示したが、縫太郎から「実子の被上告人甚太郎には居住する家屋敷だけやれば十分であるから、もし上告人らが養子となり縫太郎夫婦を今後扶養してくれるならば、他の不動産を全部遺贈してもよい」との趣旨の申出を受けたので、これを承諾し、昭和四八年一二月二二日縫太郎夫婦と養子縁組したうえ、同夫婦と同居し共同生活を営みつつその扶養をしていた。

4  そして、縫太郎は、前記の約旨にしたがい、同月二八日公正証書により、その所有する現金、預貯金全部を妻のはなに遺贈し、不動産のうち市川市若宮二丁目四一〇番宅地36.13平方メートルを被上告人甚太郎に遺贈するが、その余の不動産全部を上告人両名に持分各二分の一として遺贈する旨の本件遺言をした。

5  ところが、昭和四九年一〇月、上告人及川巖及び実兄の訴外及川淳が経営していた加根与商事株式会社が倒産したが、そのことより上告人巖及び訴外淳が縫太郎に無断で縫太郎所有の不動産について右会社の永代信用金庫に対する四億円の債務担保のため根抵当権設定等の登記をしていることが発覚した。そして、縫太郎がこのことを知つて激怒したため、上告人巖及び訴外淳は、六か月以内に右根抵当権設定登記等を抹消し、かつ、縫太郎から右会社が借用していた一五〇〇万円を返還することを約し、その旨の念書を縫太郎に差し入れたが、右約束を履行するに至らなかつた。

6  そこで、縫太郎夫婦は、上告人らに対し不信の念を深くして、上告人らに対し養子縁組を解消したい旨申し入れたところ、上告人らもこれを承諾したので、昭和五〇年八月二六日縫太郎夫婦と上告人らとの間で協議離縁が成立し、上告人らは縫太郎夫婦と別居した。

7  上告人らは、別居後縫太郎夫婦を扶養せず、被上告人甚太郎夫婦が縫太郎夫婦の身の廻りの世話をしていたが、縫太郎は、昭和五二年一月八日死亡し、はなも同年二月一日死亡した。

以上の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、すべて正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。

二ところで、民法一〇二三条一項は、前の遺言と後の遺言と抵触するときは、その抵触する部分については、後の遺言で前の遺言を取り消したものとみなす旨定め、同条二項は、遺言と遺言後の生前処分その他の法律行為と抵触する場合にこれを準用する旨定めているが、その法意は、遺言者がした生前処分に表示された遺言者の最終意思を重んずるにあることはいうまでもないから、同条二項にいう抵触とは、単に、後の生前処分を実現しようとするときには前の遺言の執行が客観的に不能となるような場合にのみとどまらず、諸般の事情より観察して後の生前処分が前の遺言と両立せしめない趣旨のもとにされたことが明らかである場合をも包含するものと解するのが相当である。そして、原審の適法に確定した前記一の事実関係によれば、縫太郎は、上告人らから終生扶養を受けることを前提として上告人らと養子縁組したうえその所有する不動産の大半を上告人らに遺贈する旨の本件遺言をしたが、その後上告人らに対し不信の念を深くして上告人らとの間で協議離縁し、法律上も事実上も上告人らから扶養を受けないことにしたというのであるから、右協議離縁は前に本件遺言によりされた遺贈と両立せしめない趣旨のもとにされたものというべきであり、したがつて、本件遺贈は後の協議離縁と抵触するものとして前示民法の規定により取り消されたものとみなさざるをえない筋合いである。右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、いずれも採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(鹽野宜慶 栗本一夫 木下忠良 宮﨑梧一)

上告代理人花岡敬明の上告理由

第一点 原判決には、民法一〇二三条一項の適用につき、その前提となる事実関係について重大なる事実の誤認がある。

一、根抵当権設定登記等の事実が判明後の縫太郎の態度について、原判決は、その事実を知つて(縫太郎が)「激怒した」旨認定している。しかし、第一審、第二審を通じて上告人及川巖本人尋問の結果からも明らかなように、立腹の態度を示したのは、妻のはなの方であり、縫太郎はむしろこれをなだめる態度であつたものである。

二、養子離縁届のいきさつについて、原判決は、縫太郎が被上告人甚太郎を通じ上告人らに対し養子縁組を解消したい旨を申し入れた旨認定している。しかし、右同様に離縁届は縫太郎の意思によるものではなく、進藤みねや被上告人甚太郎の独自の考えから、上告人にその届出を要求したものであり、縫太郎の知らないことであつた。各当事者の本人尋問によつても縫太郎の頑固一徹な性格は明らかであるが、そのような性格の持主である同人が、わざわざ被上告人甚太郎に依頼して離縁の話を持ち出したという認定は甚だ不自然であり、真実に反することが明白である。

第二点 原判決には、民法一〇二三条二項の解釈適用を誤つた法令違背がある。

一、遺言の取消は民法一〇二二条により遺言の方式によることが原則であり、民法一〇二三条二項は、遺言者の最終的な意思の尊重の見地から、その例外を定めたものである。したがつて、その要件は厳格に解釈されなければならない。

民法一〇二三条二項は、遺言と遺言後の生前処分その他の法律行為とが抵触する場合に遺言が取消されたものとみなすものであるが、大審院判例は「抵触」の意義について「後の行為がその内容自体において前の遺言と明白に抵触する場合、換言すれば後の行為を実現せしむるときは前の遺言の執行が不能となるが如き場合のみに止まらず、諸般の事情より観察して後の行為が前の遺言と之を両立せしめざる趣旨の下に為されたこと明白なる場合を包含するものと解するを相当とする」としている。(大判昭和一八年三月一九日民集二二巻六号一頁)

右大審院判例は、遺言者が公正証書で一万円を与える遺言をし、後に受遺者の申出により、生前に五千円を与えることとし、受遺者もその後金銭の請求をしないことを約して五千円を受取つた事案に関するものであり、遺言と両立させない趣旨で生前贈与が行われたことが「明白な」事案である。

二、本件については、原判決は、まず、養子離縁届出を遺言者の遺言後の法律行為として捉えている。

しかし、本件の養子離縁届は前記の通り、上告人夫婦が、縫太郎夫婦の了解なしに準備して届出たものであり、戸籍上は協議離縁となつているが、縫太郎自身の行為によるものではない。

したがつて、本件は民法一〇二三条三項の適用の前提となる要件を欠いている。

三、原判決は「離縁によつて縫太郎はもはや一四筆にも及ぶ本件不動産を含むその所有不動産を上告人らに遺贈する意思を有しなくなつたものと推測するのが相当である」とし、「離縁に至るまでの事情等を観察すれば、離縁は本件遺言と両立せしめない趣旨でなされたものと認めるのが相当であるから、民法一〇二三条二項にいう遺言と抵触する法律行為にあたり、これより本件遺言は撤回されたものというべきである」と判示している。

仮に離縁届出が縫太郎の意思に基づくものであるか、或は届出後の追認があり、これが縫太郎の法律行為に該るとしても、これによつて縫太郎の遺贈の意思がなくなつたと認められるものではない。原判決は遺贈の意思がなくなつたものと「推測」しているのであるが、「推測」はあくまでも「推測」にすぎず、これによつて縫太郎の意思が明白に認定できるものではない。

本件について民法一〇二三条二項の撤回が認められるためには、上告人夫婦が別居後、縫太郎夫婦の意思で親族の内から以後の同居扶養者を定めてこれを家に入れるなど、もはや将来上告人夫婦の世話には一切ならない旨の縫太郎夫婦の意思が明確に表現された事実関係が必要であろう。

上告人夫婦が別居した昭和五〇年八月より縫太郎の死亡まで一年半に近い期間があつたにもかかわらず、同居扶養者の件は関係者の間で話題にさえならなかつたことは全証拠により明らかであり、縫太郎夫婦には上告人夫婦以外には今後面倒を見てもらう意思のなかつたことが明らかである。上告人らは被上告人重田甚太郎や進藤みねとの関係から、やむをえず縫太郎と別居して離縁届出の形式をとつたのであるが、その後も縫太郎の家をしばしば訪れ、縫太郎自身との関係は死亡に至るまで円満であつた。

また、縫太郎が、本件遺言の事実を、担保設定の件の判明後はもちろん、上告人らの別居後も、甚太郎に秘していた事実は、かえつて同人には遺言を取消す意思のなかつたことを推認させるものである。

結局、本件においては、離縁が遺贈と両立させない趣旨で(縫太郎の意思により)なされたことが「明白」であるとは到底認められない。

以上の通り原判決には重大な事実誤認及び民法一〇二三条二項の解釈・適用を誤つた違法があり破毀されるべきである。

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